大人の仕事、子どもの仕事
感染症の広がりのなか、小さなお子さんを連れて外出するのは緊張感や不安を伴います。そうした外出は教育的意味よりも負担が多いと考えて、教室をお休みにさせて頂いています。この間に、子どもたちから学んだことや、教師養成コースでの学びを振り返っています。
ある小さな男の子は、教室で「ぼくの!」と言う言葉を使い始めてから個性がどんどん伸び、自分の好奇心を肯定的にとらえ始めました。「どんぐりはつまみたいだけつまむの!」「あけ移しは納得いくまでするんだ!」という感じです。そのかわり、お友達の自己主張も尊重するようになりました。
そんな風に私もしたいと思いました。空気や雰囲気の中で適切な言葉を探すのに知恵を絞るより、自分の本当の気持ちを肯定する。だからこそ相手の気持ちも肯定的に受け止められるのだろうと、彼から教えてもらいました。
モンテッソーリ教育の「生活」の分野では、手を洗う、ボタンをはめるなどの動作を、ひとつひとつ練習します。手を固形石けんで洗い、たらいと洗濯板で「洗濯」します。「時間の浪費」と言う人もいます。学習塾やペーパーの方が数値的に分かりやすいと言います。でもそれは大人の感覚。大人が“浪費”と思うことほど、子どもは大好きでくり返します。
大人と子どもは全く違う目的で生きています。大人は効率よく、早くきれいに行うことが「仕事」です。子どもは、感覚的、肉体的、道徳的に、作業を繰り返すのが仕事です。そこに楽しみが絶対に必要です。「こすると面白いね。」「滴る水がきれい。」「ぴちゃぴちゃ音がした!」なのでしょう。大人の仕事は物がきれいになります。子どもの仕事は心の状態が非常によくなるのです。
モンテッソーリ教育の京都コースの岡山先生は「生活教育の目的は、『子どもがよい生活をするため』です。」と教えて下さいました。“よい生活”とは、お金やものをたくさん持つ事ではありません。いつもどんな時も誰かと生き、豊かな心の状態で人生を過ごすための教育だと思っています。
大人からいつも課題を与えられて育つ子は、目の輝きが少ないです。敏感期に蓋をしたように、2-3才でも水遊びを「時間の浪費?」という表情で見ています。だから「どんぐりのあけ移し」などポトリと落ちる仕事に誘いします。するとその子も急に目が輝かせるので「この子も子どもの心を持ってる!」と安心します。